Le vendredi 4 juillet

 

日記を忘れているうちに夏が来ていた。

こう暑くてはまたすぐに日記のことなど忘れそうだけど、思い出したので書いてみます。

 

例えば細い小道で向こうから来た人とすれ違うことがあるでしょう。

一人と一人はいつかすれ違うことになるのだけれど、そこで三人が重なる瞬間がある。

そんな時いつも不思議な感じがする。

ほんの数秒違っていれば一人ずつすれ違うこともできたのに、

何もわざわざ同じ瞬間に三人が重なることないじゃない。

そんな時は、何か自分にはコントロールできない流れというものを意識する瞬間でもある。

それを「タイミング」と呼ぶのかもしれない。

歩幅を完全にコントロールして誰とも重ならないようにする...

なんていうこともできるといえばできるのでしょうけれど、

そうしたってきっと思い通りにはいかないでしょうし、

なんにせよ自然じゃないことはうまく運ばないからね。

自然に任せるというのはとても綺麗だなとも思う。

 

それにしても、こう暑くては.......

Le samedi 5 juillet

 

いつからか夏が好きになった。

あらゆる生命が輝いて、何より夏自体が生命力を持っている感じがするからね。

(ここ近年はそんなことも言っていられない生命を超えた暑さではあるけれど)

 夕方の風に吹かれながら小さな庭にいると

もう何にもいらないという感じがする。

こんな風に椅子に座りながら思うのだけど、

みんな生まれてから死ぬまで一人ずつゆったりできる椅子が用意されている筈なのに、どうしてこの世は常に椅子取りゲームのようになっていて、誰かが座ると誰かが外れるような仕組みになっているのかしら。もしくはそう信じ込まされているのかしら。

それが発展するとこいつらがいるせいで自分たちの席が減る!とかいうことにも繋がってくるのでしょうし、本当は色んな形の椅子があって誰もが一人ずつ座れる筈なのに、

それはそんなに難しいことなのかしら。

難しくしているのは一体何でしょう。

まあ椅子なんていうものすら本当はないのかもしれない。

みんな草むらに寝転んでいるような世界が私は好きだわ。

猫みたいに。