マダム・クロワッサンの日記

Le jeudi 17 juillet

 

 

     何にも言葉にしたくない時がある。

ただ風の吹くのを感じて、鳥の声を聞いて、

蝶が羽ばたくのを眺めていたい。

理由も目的も結論もいらず、ただここにいる。

そんな風に感じるのはきっと今が夏だからでしょう。

なにしろ夏はそこにある生命力そのものだから。

何にも言葉にしたくないとか言いながら、こんな言葉を綴る虚しさ……

それは人間の(人間の...?) 愛すべき長所であると私は思う。

だけど人間は(人間は…?)言葉を持っているからこそ厄介なことも沢山ある。

言葉の便利さは物事を分類して他者と共有することにあるけれど、

それは共感に繋がることもあれば分断をもたらすこともある。

私たちは誰でも生まれたばかりの頃があって、

言葉を知る前、言葉によって分類される前のあらゆるものの状態を体験していたはずで、

そのことを時折意識することはとても重要だと思う。

例えば花や木や鳥にも名前なんてないし

それらはただそこにある。

時折人間が名前をつけて区分したものを全て忘れて

それ自体を感じる必要がある。

そうしていると何か二つに分けられるものなんて

この世にはないことも分かる。

例えばこの国の人とそうでない人、良い人と悪い人、

善と悪に至るまで。

夏の生命力の中でそれを感じている。

そして理由も目的も結論もなく、ただここにいる。

物事を二つに分けて

人々を分断しようとする強い力に抗うためにも……

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